転職経験者に学ぶ!職種別転職体験談

固定観念に捕らわれず、新しい事に挑戦する事への大切さを学びました。

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Aさん / 39歳 / 女性 / 北海道
転職前:病棟勤務の看護師/年収380万円
転職後:病棟・手術室勤務の看護師/ 年収450万円

転職成功

-転職前の企業での業務内容を詳しく教えてください。
地域の2次救急的な200床程度の病床を持つ、総合病院で整形外科・脳外科・消化器内科・血液腫瘍内科などで、新卒~約4年間病棟勤務。勤務体制は、3交代であったが途中から2交代勤務になり、固定チームナーシング制。
-転職を考えたきっかけを教えてください。
病院自体の設備が古く、やり方がアナログで、どんどん新しい考え方から置いて行かれる事に不安を感じた。他の病院から転職してきた職員が、「古い・時代遅れ」と揶揄し、不満に感じて退職していく背中を何度も見送った。何が変なのか分からない自分もおかしいと感じたし、新卒から4年間、同じ病院で勤務して固定観念が定着してしまうのが嫌だった。福利厚生も良く働きやすい環境であったかも知れないが、医師・薬剤師・看護師など長年勤務している職員が作り出す、変化のない独自の環境に違和感を覚えた。看護師をしている他の友人は、どんどんと新しい事を経験し、学び成長し、積極的にスキルアップしているのに対して、自分が遅れており、このままではいけないと感じた。
-この業務だけはもっと続けたかったという業務があれば教えてください。
日本赤十字社が取り組んでいる専門職種の医療要員としての、国内・海外のボランティア支援に参加してみたいという気持ちはあったが、この地域でこの規模の病院では実績経験は詰めなかったと思う。実際に、勤務中に1度天災被害を受けた国内地域に職員が派遣されたが、ベテランの主任や係長クラスの看護師。スタッフ派遣のチャンスをつかむノウハウは知りたかった。
-転職活動はどのように行いましたか?
慢性的な職員不足状況にある病院という事を、知人から聞いていたので、ハローワークや転職会社は使用せず、自分で病院へ問い合わせして応募した。
-転職後の会社に入社を決めた理由を教えてください。
転居先であり、その地区で長く腰を据えて住むつもりであった。地区で24時間救急対応しており、急性期病院で、研修制度が充実しており、診療科も多く色んな症例に関われると感じた。出遅れてしまったが、自身をステップアップさせたかった。また、市の病院で地方公務員扱いになるため、労働組合が機能していたり福利厚生が充実していて、労働環境は悪くないだろうと考えた。給料は年齢や経験考慮され、前職よりもアップも見込めた。
-転職後の会社での業務内容を詳しく教えてください。
循環器科と内科の混合病棟に配属となり、3交代勤務。日勤帯勤務は固定チームナーシング制。準夜勤と深夜勤は看護師3名で、機能別+固定チームナーシング制。経験年数が4年目であった為、日勤リーダーも交代制で担った。循環器内科では、心臓カテーテル検査や治療前後の処置、心臓ペースメーカー埋め込み前後の処置や検査出し、心嚢穿刺や胸水穿刺、急変時の処置(ショック対応や気管挿管、CVカテーテル挿入など)、経食道エコーやドブタミン負荷試験などの検査前処置など経験。緊急入院は多く、ICU転室・転棟対応など日常的。持続的に心電図モニタリングが必要な患者も多く、アラーム対応や異常波形の検索など絶えない。内科は、呼吸器科や泌尿器、循環器などの専門科では対応しきれない、原因不明な症状経過の患者の精査入院や内分泌系(糖尿病・ホルモン異常疾患)や膠原病系(関節リウマチ・血管炎・間質性肺炎・強皮症など)などの看護にあたった。インスリン強化療法、低血糖/高血糖性昏睡、教育入院などが糖尿病では多かった。ホルモン異常疾患の負荷試験実施頻度は少なくなく、ステロイドパルス療法やエンドキサン・アクテムラなど、関節リウマチに対しての短期間入院パスも確立され、頻度が多い。重症化肺炎、高齢者の誤嚥性肺炎や低ナトリウム血症、脱水などの短期間推定入院も日常的。いずれも内科と循環器内科の混合病棟であり、人工呼吸器や低圧持続吸引機管理、輸液ポンプやシリンジポンプ使用頻度も多かった。学生対応は、受け持ち学生が自分の担当部屋に居れば、指導者以外に介入することがあった。
-入社前のイメージと違っていたところはどんなところですか?
インシデントアクシデント対応策として、安全強化への意識が強く、対策グッツがかなり豊富に在庫あり。これら手厚さゆえの忙しさが想像以上。高齢者入院が多いため、ヒヤリハット事故が断然多く、センサーマットやクリップセンサーを駆使。事故対策には必要な物品購入は惜しみなく、入院時の転倒転落事故スクリーニングで、該当になれば双方設置。これらの対策物品がナースコールと連結しており、職員一人一台持つPHSに連動し、該当者かのナースコールがくれば、転倒する前に、自室に到着する必要があった。転倒事故を未然に防ぐために、通知が来たら迅速に病室まで行かねばなく、夜勤中に何回走って対応したか分からない。部屋回り、緊急入院対応、急変対応、日常生活のケア等…夜勤の勤務はこんなに休む間もなく、相当な活動量で体が辛いものか...と想像以上であった。
-仕事の難しさ、辛さを感じた点はありますか?またそれはどのように克服しましたか?
日勤受け持つ患者人数は、概ね8人程度+予定入院対応+緊急入院対応。内科や循環器科患者が複数居る中、業務が山ほどあり、要領が掴めず混乱する事が始め多かった。ただただ忙しさに流されるかのように、必要な業務を熟し、効率よく勤務をするには、どうしたら良いかと思い悩んだ。 各処置や検査出しなど、マニュアルが完備されていたため、「何故そのような業務をしなければならないのか。」と根拠を振り返りながら、手順を踏んで業務するように努めた。医師の指示や処置なども、「患者がどのような状況だから、そのような指示が出ているか」と考える癖をつけ、分からない事は質問しやすい医師や同僚NSへ相談確認した。また、心電図モニターの異常波形の判断も、自信がなく、アラームが鳴っている度にストレスを感じた。基本の心電図波形を頭に叩き込み、アラームが鳴れば波形静止させ確認。自信がなければ、先輩NSに確認する…との繰り返し。異常波形を記録用紙に印刷しては、自宅に持ち帰り、心臓の機能を振り返りながら自己学習に努めた。そうしているうちに、業務の優先順位やタイムスケジュールの予測で自分のペースを掴めるようになり、急変時にも心電図のアラーム対応にも慌てなくなった。克服できたことが、自分の成長に繋がっていった。
-仕事の中でやりがいを感じた(ている)部分はどこですか?
疾患に対して、何故その治療が行われるのか、何が異常でどう医師に報告をしたら良いか。医師と患者間の間に入り、どのような介入やサポートをしていく事で、患者さんが少しでも安心した入院環境で治療を受けられるのか。という事を考えて、業務する事に達成感を感じながら働けた。言葉足らずの医師の説明をサポート出来たり、患者さんからの質問に自信をもって対応できるようになった事にやりがいを感じた。
-転職は成功でしたか?失敗でしたか?
亜急性期的なポジションの2次救急病院からの転職であった為、大幅に労働環境の変化が生じた。適応するのが大変でストレスが始め多かったが、自分にとって過酷な中で根拠を学びながら新しい事を吸収でき、大変に勉強になった機会と感じるため転職は成功であったと感じる。
-なぜそのように感じましたか?
自分の看護観が広がり、前職で形成されていた固定観念が剥がれ落ち、新しい環境の中で成長する事が出来たから。残業が非常に多く仕事の時はプライベートの時間が少なかったが、その経験値反面給料は高く、自分の趣味を充実させられた。この時の経験がなければ、現在の自分のはもっと低かったし、転職の際の選択肢は狭まれていたと思う。
-この仕事の個人的な楽しみ方を教えてください。
地方公務員待遇なので労働組合が機能しており、労働環境はある程度保証されている。労働勤務時間は最低限守られている為、他の病院よりは休日は多い。普段頑張って働き、もらった給料をその分楽しみに使う。産前産後休暇や介護休暇は保証され、1年間は標準給料の6~8割の育児手当を支給でき、復職しても子供が就学するまでは、勤続年数が変わらずに短時間勤務が可能。仕事を頑張った分、自分の労働者としての権利を主張して働き通す事が許される環境なので、ライフワークとプライベートの両立を楽しめるとは思います。
-この転職からどのようなことを学びましたか?
固定観念に捕らわれず、新しい事に挑戦する事への大切さ。変化を恐れず、自分が大切にしている看護観は何か、その看護観を生かして働いていくには、どんな選択をしていけばよいかという事を考えるためのヒントを学べた。医療事故は何故起きるか、患者はもちろん自分の身を守る為には、どんなことが大切かを気付く事ができた。
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